朝起きて、いつものように3匹の子猫たちの声をかけた。小さな身体を寄せ合って私の行動を見つめる。それが、私にとって一日の始まりだった。
あの子たちがやってきたのは、ほんの15日前のことだ。保護主さんから「しばらく預かってほしい」とお願いされて、慌ただしく部屋を整え、ケージを用意し、ごはん皿と水を準備した。小さな子猫を迎えるのは久しぶりで、どきどきしながらも楽しみで胸がいっぱいだった。
最初はおそるおそるケージの隅に固まっていた子たちも、日を追うごとに少しずつ暴れるようになった。私のミスでケージを締め忘れて脱走してしまってから3日くらいは2部屋を自由に走り回ってキャットウォークにも登ってハンモックでゆったりと寝ていたりした。寝るときには小さな身体を寄せ合ってまあるくなったり。短い間だったけれど、私にとっては濃くて、かけがえのない時間だった。
そんな子たちと、今日お別れをすることになるなんて思ってもいなかった。
突然訪れた「さよなら」の日
今日、保護主さんが来るのは分かっていた。ワクチン接種に連れていくためだと聞いていたから、朝ごはんを見守った。
ワクチン接種の際には検便も必要だろうからと、朝片付けたうんちを捨てて、お迎え前にトイレにあったうんちを回収しておいた。
まだ慣れず私を見ると3匹で身を寄せ合う姿。それでも手を伸ばせば撫でさせてくれる、小さなその姿が、妙に胸に焼き付いて離れなかった。
「病院から帰ってきたら、またゆっくりしようね」
そんなふうに心の中でつぶやいていた。けれど、保護主さんの口から出た言葉は違っていた。
「このまま別の預かり親さんのお家へ行くね」
思いもよらない知らせに、頭が真っ白になった。てっきり病院が終わったら、また我が家に戻ってくるのだと思っていた。だから、心の準備なんてできていなかった。
車がない私、そして「バイクは心配」と思う保護主さん
本当なら、私だって病院に連れて行ってあげたかった。毎日一緒に過ごしてきたからこそ、最期まで自分の手で送り出したかった。
でも、私は車を持っていない。バイクなら行ける。動物病院までの道も知っている。安全運転だって心がけている。だけど、保護主さんは「バイクは心配だから」との思いだった。
その気持ちも分かる。小さな命を運ぶには、不安があるだろう。だから私は何も言い返せず、ただ「ごめんなさいね」と頭を下げた。
確かに事故にあったら車よりバイクのほうがダメージが大きいから。仕方ない。
それでも、心の奥にぽっかりとした穴が空いたような感覚が残った。最後のお別れをきちんと自分でできなかったこと。あの子たちの新しい旅立ちを、自分の目で見届けられなかったこと。その悔しさと寂しさが入り混じって、胸の奥で渦を巻いていた。
15日間の思い出
思い返すと、15日間はあっという間だった。
最初の夜は、不安そうに小さな夜鳴きが聞こえていた。ケージの中で落ち着かず、何度も水をひっくり返したり、それでもごはんはしっかり食べていた。そして少しずつ慣れてくれて、数日後には私から撫でても大丈夫になった。
ケージから私のミスで開放されたとき、押し入れの隅っこに隠れていたり、見つかったらすごいスピードで逃げていったり。
出窓で日向ぼっこしていたり。
キャットウォークを登っていく姿を見たときは、「楽しいところを見つけたね」と思った。
ハンモックでのんびりしている姿はかわいかった。
それぞれの性格が少しずつ見えてきて、「ああ、この子はきっと活発な家族に迎えられると幸せだろうな」とか、「この子は穏やかな人と相性が良さそうだな」と想像するのが楽しかった。
短い間でも、毎日を一緒に過ごすと、情が移る。朝の挨拶を交わし、世話をして、眠る姿を見守る。その繰り返しが、私の日常の一部になっていた。夜はちょっとだけ夜鳴きがあった。だからこそ、その日常が突然消えた今、時間が止まったような感覚に陥っている。
ぽっかり空いた心の穴
保護猫を預かるということは、いつか必ずお別れが来るということだ。それは分かっていた。頭では理解していた。だけど、実際にその瞬間が訪れると、想像以上に胸が痛む。
たった15日間。それでも、あの子たちは私にとって家族のような存在になっていた。お別れがこんなに辛いものだなんて、正直思っていなかった。
保護主さんにキャリーケースに入れられた3匹は、暴れたのか保護主さんの手を噛んでしまい流血させた。(私は電話中で見ていなかった。)
きっと新しいお家でも、最初は戸惑うだろう。けれど、優しい預かり親さんと出会って、時間をかけて幸せになってほしい。そう願うしかない。
私の寝室は、急に静かになった。ケージの中は空っぽで、引きずり込まれたカーテンだけが残っている。そのカーテンを戻すと、まだ子猫たちの匂いが残っていて、胸が締め付けられる。
これからの私にできること
今回の経験で、自分の未熟さや限界も痛感した。車がないこと、最後のお別れを任せるしかなかったこと。もっとできることがあったのではないか、と自問自答する。
でも同時に、あの15日間が無駄ではなかったことも分かっている。私が預かっていた間、あの子たちは少しでも安心して眠れただろうか。ちょっとでも来た時より、育ってくれただろうか。もしそうだったら、それだけでも意味があったと信じたい。
保護猫を預かる活動は、出会いと別れの連続だ。これからもまた、新しい子がやってくるかもしれない。そのときは、今回の経験を糧にして、もっと丁寧に、もっと落ち着いて向き合いたい。
ケージを開けっ放しにしてしまうようなミスはしないように心がけよう。
そして、また必ずお別れはやってくる。それでも、その子にとっての「一時的な居場所」を作れることに意味があるのだと思う。
終わりに
突然のお別れは、あまりに寂しくて、心にぽっかりと穴が空いたような気持ちになる。でも、それは裏を返せば、短い時間でも本気で向き合った証拠だと思う。
3匹の子猫たちが、これからの人生で温かい家族と出会い、幸せに過ごしてくれることを願っている。そして、私もまた新しい出会いに備えて、心を整えていこうと思う。
ありがとう、この15日間。
そして、さようなら。どうか元気で。
良い出会いを迎え、幸せに長生きしてね。
かわいかったよ。とても。3匹みんな。
バイバイ。ローちゃん達。


