リビングの隅の自動給餌器から、自分の声が流れる。
去年、約1か月の入院が決まったときに録音したものだ。
その間、彼女――小さな女の子の犬――がひとりで寂しくないようにと、
少しでも安心できるようにと思って吹き込んだ。
明るく振る舞おうとした声。けれど今聞くと、少しビミョウな声。
あのときの私の不安と優しさが、混ざり合って残っている。
「はーる!ご飯!」という電子音のあと、ドライフードがトレーに落ちる。
パラパラと乾いた音。
私が床から起き上がり、彼女が、顔を出して小さく伸びをする。
トコトコと短い足音を立てて、給餌器の前に座る。犬食いはせず、数粒づつを咥えては移動してチマチマと一粒づつtsべる。
私はまたリビングの床に横になり、その姿を見つめていた。
結局、昨夜は眠れなかった。
毛布にくるまりながら、ただ時間の流れを聞いていた。
時計の針の音、冷蔵庫の低い唸り、外で遠く鳴く何かの鳥の声。
それらが夜と朝の境目を曖昧にしていく。
去年の入院中、私はただ想像していた。
白い天井の下、点滴の音を聞きながら、
「今ごろあの声を聞いて、ごはんを食べているかな」と。
モニターなんてない。ただ頭の中に浮かぶ彼女達のの姿と心配。
尻尾を振り、首をかしげ、誰もいない部屋で私の声に耳を傾けていdrsろう。
その想像が、私を生かしていた。
食べ終わった彼女が、私のそばに戻ってくる。
毛布の端を踏みながら、私の顔の近くで座り込む。
手を伸ばして撫でると、ふわふわの毛が指の間をすり抜けていく。
「おはよう」とつぶやくと、彼女はぺろぺろと手を舐める。
その瞬間、階段の方から足音がする。
タタッ、コトッ、と軽い音。
2階で自由にしていた猫たちが、続々とごはんを食べに降りてくる。
それぞれの足取りで、「今日もげんきだよとなく、ゆっくりリビングへ。
ひとり、またひとり。
給餌器の音に引き寄せられるように、静かな行列ができていく。合間に順番にあさのご挨拶をしてくれり。
彼女はその光景を見上げて、私も撫でとアピールで尻尾を小さく揺らした。
まるで「おはよう、みんな」と言っているように。
私はその穏やかな時間の中で、ふと思い出した。
そういえば、ずいぶん長い間「お手」も「おかわり」もしていない。
自動給餌器があれば、それをする必要もないから。
もう忘れてしまっただろうと思っていた。
けれど、たまに思い出して声をかけてみると――
彼女はちゃんと右の前足を差し出す。
「お手」と言えば右を、「おかわり」と言えば左を。
その動作があまりに自然で、胸が熱くなる。
犬は本当に賢い。
そして、覚えている。
声も、しぐさも、気持ちも。
今日は雨だが外の空が少しずつ明るくなり、カーテンの隙間から光が差し込む。ゆっくりカーテンを開けて電気を流す。
猫たちはそれぞれのボウルから少しづつのご飯を食べていた。(我が家の猫ご飯は時間を決めず食べたい時に食べたらてる)、静かに毛づくろいを始めた。
犬ははその真ん中であくびをして、私の膝に顔を乗せる。
部屋の空気が、夜の冷たさが残る時期。今日は雨んsのでエアコンは要らないksんs。
朝のやわらかさへと変わっていく。
録音の中の私が、もう一度言う。
「はるー!ご飯だよー!はーる!」
気づけば今日も朝。
眠れなかった夜を越えて、今日もまたこの子たちと、
静かに、確かに、生きている。



