夜が深まるほど、部屋の静けさが増していく。時計の針の音だけが響き、スマホの画面がぼんやり光る。眠りたいのに、まぶたを閉じても思考が止まらない——そんな「眠れない日々」が、最近の私の日常になっている。
頭の中では、今日あったこと、やり残したこと、これからの事、亡くした犬猫のこと等がぐるぐると回り続け涙が止まらなくなる。焦れば焦るほど眠れなくなっていくのがわかっているのに、どうにもならない。ふと気づけば夜中の3時、4時。そんなとき、私はもう眠るのを諦める。
代わりに、机に向かって動画編集を始める。静まり返った夜に、キーボードの打鍵音とマウスのクリック音だけが響く。映像や画像を選び、フォントを調整し、色を整えていくと、不思議と心が落ち着いていく。創ることに集中している間は、眠れない不安も薄れていくから。
時には、天然石のブレスレットを作り直すこともある。光に照らされた石の色合いを眺めながら、「今日はこの組み合わせにしてみよう」と小さなひらめきが生まれる。手の中で石が転がる感触は心地よく、無心でゴムを通していく作業が夜の瞑想のようになる。眠れない時間も、こうして静かな創作のひとときに変わっていく。
そして、ふと耳を澄ますと、猫たちが2階の部屋を走り回る音が聞こえてくる。
「元気だなあ…」と、思わず笑ってしまう。彼女らは夜になると活発になり、まるで小さな冒険を楽しんでいるようだ。また、犬の方はスヤスヤと自分のベッドや、いつの間にかソファーに移動したりして眠っている。そんな姿に癒されながら、「まあ、私も似たようなものかもしれない」と思う。夜中に動画をいじり、石を並べている私も、きっと夜の世界で小さな創作の冒険をしているのだろう。
眠れないことを以前は責めていたけれど、最近はそうでもない。
「眠れない夜も、きっと何かの意味がある」と思うようになった。考えすぎてしまう性格も、夜にしか浮かばない発想も、すべて私の一部。無理に眠ろうとするより、今の自分を受け入れるほうが自然だと感じるようになった。
気晴らしに外に出てみると、秋の風がやさしく頬を撫でる。金木犀の香りがふわりと漂い、少しだけ心がほどけていく。夜空を眺めながら、深呼吸をひとつ。夜勤のお仕事の方以外は眠っているだろうに、私だけがただ無駄に起きている——けれど、それも悪くない。静かな夜を独り占めしているような、不思議な満足感さえある。
そして夜明けが近づく頃、少しだけまぶたが重くなる。効かない睡眠薬も朝になればなんとなく効いてくるものか?
猫たちが丸まって眠りはじめ、私はゆっくりと編集ソフトを閉じる。時計の針が7時を指す頃、ようやく心も静まっていく。
眠れない日々は、時にしんどくて、孤独を感じる夜もある。
けれど、その中にも創る喜びや、小さな幸せが確かにある。眠れない時間を、焦りではなく“静かな活動の時間”として受け止めるようになってから、夜は少し優しくなった。
今日もまた、夜がやってくる。
眠れなければ、また何かを作ろう。猫の足音をBGMに、静かな夜の世界で、自分だけの時間を過ごしながら。
そう思うと、眠れない日々も悪くない——むしろ、私らしい夜の生き方なのかもしれない。
しかし、朝になって寝落ちるおかげで、午前10時から始まるB型就労のリモートワークに2日も寝坊をしてしまった。w
これだけは少し問題がある。
明日からは3連休。就労支援の動画制作は一旦お休みして、自分の事業の動画でも作ろうか。

